はじめに

 

 

 ベネディクト派修道院の神父シュレッティンガーが,修道院を去ってバイエ

ルン宮廷図書館員になり,世界ではじめて「図書館学」という概念を標題にか

かげた著書を刊行したということは,日本ではそれほど周知ではない。彼が修

道院で何を考え,何をなしたか,なぜ彼が修道院を出て図書館員になったか,

宮廷図書館で『図書館学教科書試論』の刊行以外に何をしたかを知る人は,ド

イツでも限られているであろう。

 

シュレッティンガーは,修道院の中にありながらドイツ啓蒙思想の影響をう

け,修道院の退廃に苦悩し,修道院世俗化の大きな流れに沿って,図書館の世

界に入った。あたかもドイツが近代図書館の形成を推し進めようとする時であ

り,彼の合理主義精神は生き生きと活動を開始し,図書館の資料の整理につい

ての知識の組織化にとりくんだ。彼は先行する図書館関係の著作から多くの知

識を学び,図書館員として重ねた自らの経験知識と統合し,この知識の「総体」

を「図書館学」と名づけて,現在および将来の図書館員に伝えようとしたので

ある。

 

常識的には,ひとつの学問の体系をまとめるのは,その専門領域で長年経験

を積んだ人のすることであろうと考えられるが,実際はそうでないことも多い。

シュレッティンガーが修道院で図書館を担当したのが

2年半,『図書館学教科

書試論』第1冊を刊行したのは,宮廷図書館勤務わずか5年の年であった。ド

レスデンのエーベルトが名著『図書館員の自己修練』を刊行したのも,図書館

勤務開始から7年目のことであり

1)

,フランスのノーデもメームの文庫管理の

職について

4年後の1623年に『図書館設立への助言』を刊行した

2)

。図書館

の専門知識を組織的にまとめて世に訴えるのは,むしろ勤務経験の浅い時期に

特徴的なことかもしれない。

 

 図書館員としての人生と,図書館学者としての人生とは,常に有機的にむす

びついているとはいえないが,彼の図書館学には,たずさわった図書館業務の

現実がいろいろな形で取り込まれた。さらに彼の図書館構想には,彼が生きた

18世紀後半から19世紀前半のドイツの時代が反映されている。 

シュレッティンガーは,修道院長に抗して合理主義哲学を学ぼうとし,つい