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はじめに

 

 

 

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に修道院をはなれて自由人となり,図書館人生に入った。そこでも彼の合理主

義的な理論と実践は他の図書館員に容易に受け入れられず,孤独のなかに独創

的な図書館の理論と技術を彫琢していった。晩年にはミュンヘン三月革命を目

のまえにして,ふたたび啓蒙主義者の情熱が燃えた。

 

こういう全体像をみると,シュレッティンガーには,たんなる宗教人,図書

館員,知識人というにとどまらぬ,理想を追い求めて生きたひとりの社会活動

家の姿を見ることもできるように思う。

 

シュレッティンガーが教会的な観照を離れ,合理主義文献に親しむようにな

ったことと,修道院を去り,啓蒙主義者たちの支援で図書館員への道を選んだ

ことは「必ずしも無縁であるとは言えないであろう」と小倉親雄はいう

3)

。修

道院神父から図書館員へのシュレッティンガーの転身は,ヨーロッパ社会近代

化の歴史の壮大な流れのなかで進行したのである。

 

イタリアのパニッツィがイタリアの革命運動に加わって国を追われ,イギリ

スで大英博物館の図書館長となったこと,イギリスのエドワーズがチャーチス

ト運動の激動のなかで新しい公共図書館の理念を実現するために格闘したこと,

アメリカの図書館運動の指導者デューイが「手に負えない改革者」の別名を与

えられた社会改革者でもあったこと

4)

,こうしたことを考えると,図書館の基

本である合理主義精神には,ときには図書館という小世界の壁をのりこえて,

より広い社会の改革に進もうとする特性が秘められているのかもしれない。ド

イツ図書館学の開拓者シュレッティンガーが人生を終えたその年に,アメリカ

図書館学の開拓者デューイが生を享けたという事実は,偶然とはいえ象徴的で

ある。

 

 日本ではドイツの図書館関係文献が入手困難で,シュレッティンガーについ

て深く掘り下げた研究はおこなわれていなかった

5)

。そういう制約のなかで,

シュレッティンガーの図書館学と図書館思想の解明に挑戦した小倉親雄の先駆

的研究の意義は大きい

6)

。資料入手が容易になった現在,直接に関連資料をみ

てシュレッティンガーの人と思想の全体像を考究することは,後進研究者に残

された課題であろう。

 

 筆者は先に『ドイツ図書館学の遺産』において,シュレッティンガーの図書