マルティン・シュレッティンガー
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彼は
9歳でドイツ語学校を卒業,ラテン語学校にはいったが,指導が悪くて
勉強嫌いになってしまった。ノイマルクトには修道士が文法などを教える学校
があったので,ここであらためてラテン語を学んだ。
1785年からブルクハウ
ゼンの叔父の家に住み,ギムナジウムに学び,かたわら図画とフランス語を教
える学校に通った。この頃彼の美術への関心が芽生えたようである。
1787年
にはアンベルクの神学校に入学,詩,修辞,論理学などを学んだ
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)
。
1790年,
18歳の秋に,彼はヴァイセノーエ修道院にはいった。
2 ヴァイセノーエ修道院
現在バイエルン州北部のオーベルプファルツ地方,ニュルンベルク北東約
24km,エアランゲンの東18km,バイロイトからは南南西へ43kmばかりの,
フランケンの森のなかに,ヴァイセノーエ(
Weißenohe)という村がある。現
在でも人口
1,096の,小さな村である。ノイマルクトから直線コース42kmで,
それほど遠くはない(第
14図)。1835年に書いたヴァイセノーエ修道院史の
冒頭に,シュレッティンガーはヴァイセノーエをつぎのように描写している。
今は崩れて廃墟となったこの元修道院は,オーベルマン郡(バンベルク司
教区),ローテンベルク要塞から2時間,エアランゲンから3時間,ニュ
ルンベルクから5時間,フォルヒハイム市(および要塞)からも同時間,
バンベルクからは
10時間,そして愛らしいグレーフェンベルク町からは
15分のところにある。とてもロマンティックで,豊饒な果樹栽培で知ら
れている谷間を流れるシュヴァーバッハ川のほとりにある。この川にはい
い鱒がいる
7)
。
今は郊外電車でいける。ニュルンベルク駅から少しはずれた露天駅でローカ
ル線の電車に乗る。駅といっても丘の上のホームに電車が待っているだけで,
電車がないとどこが駅かわかりにくい。これから北東へ電車で走り,終点グレ
ーフェンベルクの手前のヴァイセノーエの無人駅で下車する。
彼が「愛らしいグレーフェンベルク町」と呼んだ,この郊外電車の終点のグ
レーフェンベルク町は丘の上にあり,今はさびれてはいるが,いわゆる「ロマ