1章 修道院のシュレッティンガー 

 

ンチック街道」の中世都市を思わせる,小じんまりした町で,観光ガイドにも

でているのか,ときたま観光客がやってくる。「鱒がいる」と書いているシュ

ヴァーバッハ川は,ヴァイセノーエ村のひとつ手前駅のイーゲンドルフを流れ

る川で,ヴァイセノーエを流れる小川カルカッハ川もこれに合流する。カルカ

ッハ川にも小鱒と思われる魚が泳いでいた。

 

ヴァイセノーエは小さな村で,駅から旧修道院の教会が見える。門を通り抜

けて入ると,正面に教会と横にながい建物があり,左側には修道院レストラン

がある。修道院の建物は現在は住宅になっていて中に入れないが,レストラン

はバイエルン料理をごちそうしてくれ,昔ながらの修道院ビールが飲める。こ

の修道院は

1803年の修道院世俗化までベネディクト派修道院であった。 

 シュレッティンガー自身の手による修道院略史と

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,レーベルのヴァイセノ

ーエ修道院史を参照して書いたヴォルフの略史

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によって修道院の来歴をみる

と,

1063年にプファルツ伯アリボー2世が貴族修道院としてここに設立,1109

年に教皇パスカリス

2世の認可を得た。ニュルンベルクとバンベルク司教区が

その支配権を争ったという。

 

その後修道院は堕落し,少数修道士が気ままに財産を浪費し,ついにはそれ

ぞれが自分の持ち分を勝手に管理し,豪華な馬車と従者を抱えて優雅に暮らす

ようになってしまった。

 

12世紀のフリードリッヒ修道院長のとき修道院は火災に遭遇した。1388年

には都市と都市の間の戦乱に蹂躙されて荒廃した。

1554年にヒルシュハイト

修道院長が死去すると,修道士のひとりは新教に改宗して結婚,修道院の収入

を管理した。もう一人の修道士はルター派に対抗して熱心にカトリックの布教

につとめたが,最後は布教活動を禁止されてしまった。結局修道院は世俗化さ

れ,宗教改革の流れのなかでとりこわされた。

 

この修道院には,設立後しばらくして図書館が設置された。

1556年にアウ

エルバッハの領邦裁判官ラベンシュタインが作った蔵書目録「ヴァイセノーエ

図書目録」には

35冊の神学書があげられた。修道院世俗化で図書館も消滅し

たであろう。

 

1600年,領主はクラインをオーベルプファルツのすべての修道院図書館に